"坂本龍馬が「ほんとうは」どういう人だったのかということには歴史=物語的には副次的な重要性しかない。
私たちが自分たちの国民的アイデンティティとして、それに基づいて思考し、行動するのはいつだって「歴史的事実」そのものではなく、「歴史的事実として選択された『物語』」だからである。
「ほんとうは何があったのか」を知ることよりもむしろ、「『ほんとうは何があった』ことに私たちがしたがっているか」を知ることのほうが切実なのである。
坂本龍馬は私たちが「近代日本人の原点」として、国民的な合意に基づいて選択したアイコンである。
私はこれを「賢い選択」だったと思っている。"
私たちが自分たちの国民的アイデンティティとして、それに基づいて思考し、行動するのはいつだって「歴史的事実」そのものではなく、「歴史的事実として選択された『物語』」だからである。
「ほんとうは何があったのか」を知ることよりもむしろ、「『ほんとうは何があった』ことに私たちがしたがっているか」を知ることのほうが切実なのである。
坂本龍馬は私たちが「近代日本人の原点」として、国民的な合意に基づいて選択したアイコンである。
私はこれを「賢い選択」だったと思っている。"